68.日韓・韓日国交正常化50周年

2015年11月1日

 10月21日に、「日韓・韓日国交正常化50周年」を記念した行事「韓日親善友好の集い IN SEOUL」が、韓国のソウルで行われた。50周年という節目の年もあり、このイベントが関係改善への意気込みが感じられるものだった。

 このところ、冷え切った日韓・韓日関係において、首脳会談も開催されていない異常事態の中、両国の関係に民間レベルでの交流によってはずみをつけようという意図で行われたイベントには、韓日・日韓の架け橋となれるように日本からは在日の民団関係者、日韓親善協会中央会と全国関係者、韓国からは韓日親善協会中央会関係者が参加した。三団体の共催は初めて(後援・在外同胞財団)。

 この日のイベントには、両国の首脳、日本の安倍首相と韓国の朴大統領からビデオメッセージが寄せられた。これはたとえビデオという間接的な手段だったとはいえ、今後の両国の歩み寄りの兆しが感じられるものとなった。そのこと自体に、ギクシャクした関係の改善への両国の期待がうかがわれるものとなったといえるだろう。

 このような改善への兆しが現れたのも、やはり民間という次元での親善友好の集いだったからだろう。その上に、両国の文化や風習などに通じた在日同胞の民団が、両国の対立を和らげる緩衝材のような働きをしたこともあるだろう。在日同胞は、戦後史において、好むと好まざるにかかわらず、日本の戦後史を同伴者として、マイノリティーとして、苦難の歴史を歩み、またその歩みを本国の韓国でもなかなか理解されない険しい道を歩んできた。

 そのような立場にあったがゆえに、両国の異なる文化の事情に通じ、それがこ じれにこじれた日韓・韓日関係の友好を築く未来の鍵を握っているのが在日同 胞である。在日同胞には、戦前から日本にさまざまな事情によって在住していた者と、戦後、経済成長を遂げた日本にやってきた新規定住者、日韓・韓日家庭の二世、三世…、ニューカマーなどがいる。その中でも、戦前戦後直後に日本に在住せざるを得なかった在日同胞は、さまざまな差別や苦難をたどりながら、日本の発展とともに、その陰に陽にその日本に貢献してきたことがある。

 喜びも悲しみも、第二の祖国ともいうべき日本の運命とともに、在日が歩んできたことは否定できない。その意味で、一方的な歴史観で、日韓・韓日関係を考えることは、その立場上できないのである。日本の土に骨を埋めることも覚悟しながら、一世の苦労の土台の上で、二世・三世と世代を重ねながら、両国を父の国・母の国として、心身ともに感 じながら生きているのが現実であるといっていい。その点で、これほど民間の草の根レベルでの交流に緩衝材になり接着剤になり、架け橋として働きかけることのできる存在はない。

 日本と韓国の両国の狭間に生きてきた在日だからこそ、このようなギクシャク した両国の関係の改善に向けて、メッセージを発し、友好への道筋をつけることができるのである。これまでの政治的なレベル、国家間の外交には、それぞれの立場や国益など、複雑な事情が絡み合い、本音と建前や威信など、立場上歩み寄れることが難しい面があったことは否めない。それを考えれば、もっと在日同胞とともに日本人が共に韓日・日韓関係の友好関係を築くために働きかけていく。それが日本の国際化への道であり、国益に適う道であり、そして、共存共栄の道であることを、われわれはもう一度考える必要があるのである。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 (Wikipedia)

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