63.誠心の交わりから始める

2015年6月1日

 中国のことわざに「隗(かい)より始めよ」というものがある。これは、古代中国の戦国時代に、燕(えん)の国の王(昭王)が自国を富強にするために、賢者を他国から招こうとしたことから来る故事である。

 昭王は、どうしたら賢者が集まるだろうかと臣下に問いかけた。すると、郭隗(かくかい)がその方策を述べた。それは、「賢者を招きたければ、まず凡庸(ぼんよう)な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる」という答えだった。

 その評判が天下に伝われば、郭隗ごときが重く用いられるならば自分の方はもっと重用されるだろうと、優れた賢者たちが集まってくるというわけである。実際に、この方策によって多くの賢者人士が集い、燕は富強への道を歩むことになった。

 このことわざは、国家を富強にする知恵を示す言葉であるとともに、身近な人間を大切にすれば、おのずから対外関係もよくなっていくという真理をも表している。それは国家の外交にも応用できる話ではなかろうか。

 現在、日韓・韓日の関係は、国交正常化五十周年を迎えながら、首脳会談さえ開くことができない膠着状態になっている。今月が国交正常化の調印をした記念すべき月であるにもかかわらず、その最大のチャンスを生かすことさえできない。

 これはまったく異常な状態であり、このままいけば、東アジア情勢に戦争をもたらす導火線となりかねない危機を秘めている。このような危機は、第一次世界大戦前夜の状況と酷似しているという説もあるほどである。

 しかし、このような非常事態を迎えても、政治的情勢はこれといった打つ手がなく、しかも、さまざまな面で、日韓・韓日の問題は、歴史問題を核として紛糾しているといってよい。ただ政治的な対話が交わされ、観光など民間での交流がとぎれずになされていることは、まだ希望がもてるといっていいだろう。

 手詰まりな状況ではあるが、ここで、中国のことわざに返れば、もう少し道が開けてくる可能性がある。「隗より始めよ」という隗とは何か。それはわれわれが往々にして忘れがちな日本と韓国の両国の背景をもった在日同胞の存在である。

 在日同胞は、日本ではマイノリティーだが、その独特な出自から、日本と韓国の架け橋となりうる存在であり、そして、両国の文化・民族に通じた存在である。この「隗」の立場にある在日同胞を日本の国家がマジョリティーとして包容していくことで、韓国との関係改善に大きな前進を計ることができるのではないか。「隗」を大切にすることで、古代中国の国家・燕が繁栄と富強の道をたどった。

 それと同じように、戦前からいる在日同胞を政治的にも社会的にも包容することで、韓国の反日感情も変わってくる可能性がある。そうすれば、その評判は自然に在日同胞から同族の韓国の親族の人々に伝わり、反日感情を和らげていくきっかけになるかもしれない。

 国の関係は政治が主体となっているが、その国を動かしているの民衆の感情であり、人と人の交流が原点になっているからである。それとともに、外交関係においては本当に国の交わりを「誠心誠意」実践していかなければならないのである。それは江戸時代の日本と朝鮮王朝が、「朝鮮通信使」によって交わり、平和な友好関係を築いていた時代が参考になる。

 その外交の前線にいた対馬藩の儒者・雨森芳洲は、「誠意と信義の交際」を旨として相互尊重の理解を深めていったことを忘れてはならない。韓国と日本は、改めて「誠心の交わり」を努力しなければならない。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 雨森芳洲(あめのもり ほうしゅう) (Wikipedia)

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