18.関東大震災と大川常吉

2011年9月3日

 日本では「終戦記念日」といい、韓国では「光復節」と表現するように呼び方が違う。それは、第二次世界大戦をどのように見るかが国によって違うことを示している。

 日本は敗戦によって戦争が終わったということ、韓国は日本の植民地下にあった軛(くびき)から解放されたという歴史的意味がある。戦争の犠牲になられた方々のご冥福を祈るとともに、このような悲劇を二度と繰り返してはならないと誓う日でもある。

 ところで、世界平和を考える上で世界を見渡すと、戦争の原因になっているのは、かつての世界大戦が植民地争奪戦やそれからの解放という様相を持っていた。それに対し、現在の世界に起こっている戦争の原因は、民族紛争、宗教紛争、そして、チュニジアに端を発した民主化革命ということになるだろう。

 その上に、地球温暖化による太平洋にある島嶼国家の水没やエネルギー問題や人口増加による食糧危機もあり、これも予断を許さない状況にある。しかも、これらの世界平和を脅かす戦争の影とともに、いまわれわれが直面している大きな危機は、大地震や風水害、津波などの自然による大災害である。「天災は忘れた頃にやってくる」とは、明治の文豪・夏目漱石の弟子で科学者の寺田寅彦の言葉だが、こればかりは予測不可能であり、いったん大災害が起こると多大な悲劇を生む。

 その象徴が3・11の東日本大震災であり、自然災害は21世紀に入ってからも、スマトラ沖やニュージーランド、アメリカなど世界各地で頻発する地震、台風やハリケーンなどの災害である。

 文明における危機と自然災害の危機が、近未来に向かって照準に合わせたように頻発しているのは、人類の未来の存亡がこの時に決定されるということかもしれない。自然の災害の場合、その被害も甚大であるが、もう一つ考えなければならないのは、その天災の後の人災という面である。災害の後の対応が、その悲劇を大きくもすれば小さくもするのだ。

 その例が1923年9月1日に起きた関東大震災である。関東大震災は、首都東京を襲った未曾有の大地震だったが、その犠牲の大きさもさることながら、その後、起こった流言飛語によって、マイノリティーである多くの在日同胞や中国人の人々が混乱の中で殺された。その悲劇は今なお、歴史の暗部として忘れてはならない事件である。この悲劇を通したからこそ、それが教訓となって、東日本大震災で、あのように秩序だった行動を取ることができたと言えるかもしれない。

 その関東大震災の悲劇の中でも、良識のある日本人がいたことが忘れ去られ、 あまり知られていないのは残念である。
 


▲大川常吉署長

 その人物とは、神奈川県鶴見署の大川常吉署長等である。関東大震災の直後、「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」などの根も葉もない流言飛語や噂が飛び交い、それによって疑心暗鬼となった日本人が在日同胞や中国人をみると、一方的に殺した、と言われている。

 誤って日本人も殺されたケースもあるというぐらい暴徒と化した人々は見境なかった。そこには、異常ともいえる群集心理が働いていた。

 その暴動はまたたくまに神奈川まで波及した。大川常吉署長は、これをみて、鶴見署にこれらの在日同胞と中国人ら約400人をかくまい保護をした。

 しかし、その鶴見署にも暴徒と化した人々は押し寄せ、引き渡しを要求した。引き渡さなければ、お前も容赦しない、火を付けるなどと脅迫した。大川署長は、押しかけた群集に向かって「うわさは根拠がない。彼らは避難民だ」と体を張って説得し助けた。その勇気ある命がけの行動によって多くの犠牲者を出さずにすんだのである。この犠牲的な行動をした大川常吉署長のことが、日本人に知られていないのは本当に悲しむべきことである。

 歴史の教科書に取り上げてもいいほどの美談であるにもかかわらず、一部の副読本や資料集でしかふれられていない。東日本大震災を体験した今こそ、こうした忘れられた偉人を顕彰し、知らしめることが望まれているのではなかろうか。

 と同時に、マジョリティー(多数派)は、マイノリティー(少数派)に手を差し伸べ共に共生共栄していかなければならない。現在、世界的に貧しい国から豊かな国への移民が増え、それが紛争や暴動の原因になっていることを考えれば、これは早急に取り組まなければならない問題である。
 

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 関東大震災(Wikipediaより)
  大川常吉:教科書副読本に記載される(毎日新聞社より)

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