60.日韓・韓日は運命共同体

2015年3月1日

 今年は、「日韓・韓日国交正常化50周年」という節目の年に当たるが、今更ながらそのことを改めて強調しなければならないほど、近年、両国の関係は冷え切っている。特に、両国の首脳、安倍晋三首相と朴槿惠大統領の首脳会談の実現さえ、なかなか見通してがついていない状況だ。これは戦後の日韓・韓日関係では、異例の事態といえるだろう。

 これまでは、さまざまな政治的課題や歴史問題を抱えていたとしても、対話の門は常に開かれていたからである。たとえ、韓国側が反日的な政権だったとしても、国交関係は対話を通して、両国の妥協点を探る試み、少なくとも、アジアにおける民主主義国家として、思想や国益の面からも、相互関係の緊密化は、重要視しなければならないことである。

 特に、軍事力を強化しつつあるロシアや中国、そして、核問題などで孤立化を深めている北朝鮮など、周囲の状況は、予断を許さないほど緊迫化している。この状態を第一次世界大戦前夜の状況と似ていることを指摘し、今後、第三次世界大戦の火種・導火線になる恐れがあると警鐘を鳴らす専門家もいるほどである。

 確かに、最低限の首脳による対話の場がまったくないというのは、戦争状態にある国家同士のような関係であるといってよい。それが政治的価値観を共有すると思われる日本と韓国において行われているということが問題なのである。ひいては、アメリカを軸とした韓日・日韓関係の戦後体制の崩壊の序曲になる可能性さえあるのである。

 互いに対話のテーブルにつくということは、民主主義の第一歩でもある。それが現在閉ざされていることは、異常状態であるばかりではなく、東アジア、ひいては世界平和への脅威となることをわれわれは認識しなければならない。その上、韓日・日韓関係は、「日韓・韓日国交正常化50周年」という短期間に構築されたものではない。過去の歴史をひもとけば、二千年近い人的・文化的・政治的関係を交流によって築いてきた一衣帯水の国家同士なのである。

 もちろん、戦争状態になったこともあるが、基本的におおむね友好関係が保たれてきたということは確かである。

 特に、江戸時代における朝鮮通信使の交流は、近年にみる平和的な友好関係として、注目に値するし、両国の有志が「世界記憶遺産」への登録へと運動を推し進めている。この背景には、徳川家康が決断し、宗・対馬藩主が仲介し、命がけで実行したことがある。

 しかも、韓日・日韓関係は、近現代においても、西洋列強の植民地主義政策に危機に瀕していたという点でも共通している。いち早く文明開化によって近代化への道をたどった日本と韓国。その両国が、不幸な悲劇的な関係になったこともあるが、今はパートナーとして提携し、未来のアジアや世界を指導していかなければならない時である。

 両国が発展したのも、両国が加害者と被害者という一方的な関係だったからではなく、相互的に国益にかなう関係だったことを改めて思い起こすことが必要である。互いに協力してきたからこそ、アジアのみならず世界有数の指導的な国家として立つことができたのである。互いに無関心と敵対関係を両国が続けていけば、両国の共倒れということさえあり得る国際情勢となっている。

 その意味で、両国の文化と伝統を理解し、相互の精神文化を理解できる在日同胞の存在こそ、今年の両国の友好関係の上で仲介の架け橋となり、重要なキーパーソンになることは間違いないし、またそうならなければならない。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 朝鮮通信使 (Wikipedia)
  対馬府中藩 (Wikipedia)

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