57.ノーベル賞と平和

2014年12月1日

 平和を願うのは、政治の分野であるよりも、宗教家の願いである。にもかかわらず、時には平和を願う宗教同士が争い、戦火を交え、互いに殺し合いを行うことがこれまで世界的な戦争を彩ってきた歴史的な事実で あったことは間違いない。

 もちろん、領土や物質的な財宝、経済的な富を得るために戦争が行われたことも確かだが、それは今では過去のことになっている。現在、世界で起こっている紛争や戦争、テロも、キリスト教やユダヤ教、イスラム教、仏教など宗教の違い、教義の違いなどが原因になって、勃発 し、その愛と平和を趣旨とする理念と相反する矛盾性を露呈していることは否定できない。

 そのことは世界でもっとも有名な賞であるノーベル賞が示している事実である。この賞を創設するスウェーデンの発明家で企業家のアルフレッド・ノーベル(1833年10月21日~96年12月10日)は、ダイナマイトの発明者であり「ダイナマイト王」とも呼ばれ、さまざまな爆発物の開発と生産によって巨万の富を築いた。

 ノーベルは、このダイナマイトを発明することで、世界中の土木工事や石炭などの鉱石の採取にダイナマイトで爆発させて利用することを考えていたが、それが軍事に転用され、多くの犠牲者を出す武器として使われるようになった。平和的な利用を願って発明したものが、かえって悲惨な戦争を生み出す発明となったのである。

 これは、ある意味では、アインシュタインが、原子や分子の構造や働きを解明した「相対性理論」などの物理学理論が、本人の意図を超えて、原子爆弾という恐ろしい兵器へ発展していったということにも通じる。特に、ノーベルにとってショックだったのは、兄が亡くなったとき、新聞に「死の商人、死す」との見出しとともに報道されたことだった。

 このままでは、自分が死んだら、後世に伝えられるのは、「死の商人」としての評価しか残らないかもしれない。この衝撃が、自分の財産を人類の平和への貢献をした人々を顕彰する「ノーベル賞」の創設の動機になったと言われている。

 最初に物理学、化学、医学・生理学、文学、平和、経済の各賞が創設された。科学的な発明は、本来は人類の進歩、幸福に寄与するために成されている。発明自体には、善もなく悪もほとんど無いといっていい。しかし、それをどう利用するか、人類の幸福と喜びのために使うかどうかは、それを使用する人間の側の意思、選択にある。その意味では、そこに人間の精神の問題が介在するのである。

 ここで、考えなければならないことは、人間の精神が、善にも悪にもゆれ動いていると いう事実である。中国の古代思想家では、孟子が「性善説」の立場を唱え、それに対して、荀子は、「性悪説」を唱えている。その善悪の相克は、今に至るまで、決着をみていないし、戦争と平和の相克も、その闘争歴史の中に存在していることは間違いない。

 今回、平和賞をアジアのパキスタンの少女マララさんが受賞したが、アジアでは、日本の受賞者が群を抜いて多く、2014年現在、日本は非欧米諸国の中で最も多い22人の受賞者を輩出している。世界でこれまで多くのノーベル賞を受賞した人々は数多いが、いまだ、その創設者の願いの通りに、実際に平和な世界が築かれてはいない。悲しいことだが、これが現実なのである。そして、その平和を作り出すのは、やはり宗教人でなければならないと思う。

 このほど、世界平和に貢献した人々を顕彰する平和賞が新たに韓国の世界的宗教指導者の故文鮮明総裁の意志を継いで、韓鶴子総裁が「鮮鶴平和賞」 が創設されるが、これがノーベル賞とともに世界平和へのともしびとなり、架け橋になることを願う。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 アルフレッド・ノーベル (Wikipedia)

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