50.多文化共存共栄を目指せ

2014年5月1日

 日本は単一民族ということが言われた時期があるが、そのルーツを古代に探っていくと、北方系や南方系、半島系、大陸系というように、多くの渡来人がやってきて、その中で、一つの国を形成してきたことがわかる。

 世界各国を見渡してみても、もはや文化や技術、政治、経済など様々な面で交錯していて、純粋に一民族ということを主張できる時代ではない。国家も宗教や人種、伝統など、その成立には、様々な要因が入り交じり、現代の多くの国家も基本的に種族や民族の坩堝(るつぼ)、多民族国家として成立 していると見るべきだろう。

 たとえば、アメリカなどはヨーロッパやアジアやアフリカからの移民から形成された国家であるが、その基本を貫いているのは、キリスト教精神に よって形作られた民主主義という精神文化である。また、アジアの中国でも歴史的に多数の民族の興亡によって持続し、その中核を為す中華思想が国家のアイデンティティーとなっている。

 同じアジアのインドでも、多数の民族が多民族国家を形成している。そのことは、インドの紙幣に17種類の言語が印刷されていることからもわかる。ちなみに、その17種類の言語は、ヒンディー語、英語、アッサム語、ベンガル語、グジャラティ語、カンナダ語、カシミール語、コンカニ語、マラヤラム 語、マラティ語、ネパリ語、オリヤ語、パンジャブ語、サンスクリット語、タ ミール語、テルグ語、ウルドゥ語である。

 そのほかにも多数の少数民族がいて、それぞれの言語を有している現実がある。マイノリティーとマジョリティーの民族が共存してインドという国家を成立せしめているのである。

 そのインドでは、少数民族問題よりも、カースト制度や宗教問題での紛糾が混在している。そのために、インドではコミュニケーションの手段として英語を公用語とし、 それで、国家の主要な骨組みを構成している。アメリカやインドや中国などに限らず、世界の国家は大なり小なり、このマジョリティーとマイノリティーの混在によって成立していることは明らかである。

 その混在がプラスになれば問題はないが、マイナスになれば、国家の統一は失われ、分裂や近親憎悪的な戦争を引き起こす事態になってしまう。アフリカにおける部族抗争などは、その代表的な例である。

 そのような国際的な問題を解決するために、多文化時代の共生が謳われるようになり、その相互理解を通して、新しい国家像を模索しているといっていい。逆に言えば、このような相互理解を深めていかなければ、世界平和というものを実現することができないほど、限界に来ているということでもある。

 世界平和は国家内における異民族同士の平和が成就しなければ、到底不可能な夢物語であるといえよう。それは、日本でも変わらない。日本は単一民族という幻想があるが、歴史をふりかえれば、多民族が混血して民族を形成してきたことがわかる。

 その外来の渡来人のもたらした文化や技術が、新しい刺激となって従来の文化や技術を進化・発展させてきたのである。そのことをふまえて、現在の日本に居住するマイノリティー問題を深く考えなければならない。それはすなわち、マイノリティーの大多数を占める在日コリアンや在日中国人等の問題でもある。その意味で、マジョリティーがマイノリティーに配慮しなければならない。

 現在、日本のおかれている状況は、少子化と高齢化によって、現実的に国力の衰退を免れないのは火を見るよりも明らかである。その意味で、われわれが今、見つめなければならないのは、マイノリティーとの共存、国際結婚の多文化家庭の共存共栄の精神である。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 国際人権規約(Wikipedia)
  多民族国家(Wikipedia)

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