6.未来志向の日韓100年へ

2010年9月1日

 8月は第二次世界大戦が終わった特別な月。

 この時期には戦争に関連する特集やテレビでは特別番組が多い。日本では、広島・長崎の原爆投下によって引き起こされた悲劇を偲び、不戦の誓いと世界平和を祈願する追悼式が各地で行われた。
 

潘基文国連事務総長菅直人首相と会談した潘基文国連事務総長
(UN Photo/Eskinder Debebe)

 今年は、今回初めて被爆地の広島・長崎を潘基文国際連合事務総長が訪問。そして、8月6日の広島平和記念式典にも初めて米国大使や英仏の代表も参列した。

 潘事務総長は挨拶のなかで、核廃絶と世界平和実現を強調した。韓国動乱(朝鮮戦争)の時、「炎上する故郷の村を後にして、泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っている」。

 多くの命が失われ、家族が引き裂かれた悲劇を目の当たりにした彼は、一生平和実現のために捧げる決意をこの時にしたと述べている。そして、「核兵器のない世界という私たちの夢を実現しましょう。私たちの子どもたちや、その後のすべての人々が自由で、安全で、平和に暮らせるために」と挨拶を締めくくった。これは、被爆国日本を超えて世界へ発信された平和への祈りであろう。

 当時、被爆したのは、日本人だけではなく、在日韓国人もいたことを忘れることはできない。広島の平和記念公園にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑は、その象徴であり証であろう。

 また、今年の8月は日本が韓国を併合した「韓国併合」100年目に当たり、日本では菅直人首相が、談話を発表したことも記憶に留めたい。これに対して、李明博韓国大統領は、「初めて韓国国民に向かって、その意思に反した植民地支配を反省、謝罪したのは一歩前進」とおおむね好意的に評価した。

 日本が日韓併合後、陰に陽に韓国に対して植民地政策を行った。帝国主義時代であったとはいえ、それで過去を正当化することはできない。また、韓国もいつまでも、過去にこだわるべきではない。もちろん、国を奪われた韓民族が、誇りを傷つけられたという事実は忘れることができない。

 しかし、両国は、過去100年の負の遺産にばかり目を向けるのではなく、未来100年の友好を見据えていくべき時ではないか。韓国は、もはや援助される国ではなく、経済も発展し、援助する国として、アジアの重要な位置を占めその発言権も増している。

 韓日は東アジア共同体という目的に軸を据えて、今後100年に向けて、共生共栄の精神で助け合い、協力していかなければならない。未来志向において、両国は平和統一実現に向けて、大きな役割を果たさなくてはならない。また、韓国併合の残影ともいえる在日同胞の和合に協力すべきであろう。

 一衣帯水の韓半島(朝鮮半島)と日本列島は、地政学的にも共同運命体としての道を歩まざるを得ないだろう。両国は技術的な面でも、経済的な面でも、密接に利害が一致しているからである。両国は資源小国で技術立国である、隣国へ積極的な友好関係を深めなければ生きる道がない。世界の不況の中でそのプレゼンスが低下している今、信頼しあえるパートナーとして、今後100年へ向かう日韓関係は未来志向の友好関係を築いていかなければならない。
 

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】日韓併合条約100年に向けて発表された菅直人首相の談話
【参考リンク】韓国・李明博大統領が光復節演説で菅直人首相談話を評価
 


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