71.民族主義を超えた平和を

2016年2月1日

 誰でも平和な世界を望んでいるが、その平和な時代はなかなか到来しないのが現実である。第一次世界大戦の後に創設された国際連盟、そして、第二次世界大戦の後に作られた国際連合、これらの国際機関が目指すのは、世界平和であることは、間違いない事実である。

 しかし、こうした平和のための国際組織を創設しても、なかなか平和を生み出せないというのは、これまた厳然とした事実である。こうした現況をみつめれば、本当に平和が到来するのか、戦争がまた世界規模で起こってしまうのではないか、今後、第三次世界大戦の危機さえ予想させ、絶望せざるをえない気持ちになってしまうのではないか。

 だが、平和を願い続ける努力をあきらめてしまえば、再び地球規模の戦争が勃発することは間違いない。それほど、全世界の政治状況を見渡してみると、危機的なケースばかりが見えてくるのである。

 中東の火薬庫であったアラブとイスラエルの対立、それに加えて、イスラム圏におけるテロと宗派争い、民族紛争、アフリカにおける部族対立、アジアに目を転じれば、紛争が止まないアフガニスタン、そして、共産主義国中国の台頭、資源をめぐる領土問題、緊張を高める韓半島情勢など、まさしく何かあれば、戦争の火が発火し爆発しかねない状況である。

 そのほかにも、食料問題による飢餓やエネルギー問題、そして、豊かな先進諸国でさえも、貧富の差による格差社会が暴動やテロを生み、また豊かさの中で倫理的な退廃が進行し、家族を家族が殺す尊属殺人など、恐ろしいまでの危機的な姿が見えてくる。宗教的な観点からいえば、これは末期的な時代、終末状況といっていいだろう。

 だが、そのような厳しい絶望的な状況であっても、われわれはそれから目をそむけることなく、未来への希望を建設しなければならない。そうしなければ、戦争という破滅から逃れることができないからである。そして、それはわれわれ自身が、未来への希望を実現するために身近なことから、できることから解決していかなければならないのも確かである。

 この日本に住み、そして、どのように未来の平和な世界を築いていくのか。過去の歴史を振り返りつつ考えなければならない。

 現在の世界秩序は、アメリカの大統領のウイルソンの「民族自決」・国際連盟等の提唱から発展していったことがある。そして、この二月はウィルソンが提唱した民族自決の運動の思想的出発が日本であったことを知らなければならない。それは日本においてマイノリティーであり、国を植民地支配されていた日本留学の在日同胞が、祖国の独立を願って日本で起こした2・8独立宣言 が、やがて、本国の韓半島の3・1独立運動へ発展し、それがひいてはアジアの中国の独立運動の5・4運動となった。

 武力による独立ではなく、平和な民主主義的な運動によって、世論と世界に訴えることで、新しい平和の道筋が生まれたことを忘れてはならない。インド独立の闘士、ガンジーしかり、アメリカの黒人差別に立ち上がったキング牧師しかり、平和な世界は、こうした非暴力と真の愛によって実現されていったことを知らなければならない。

 多くの血を流した歴史であるからこそ、われわれは平和がいかに尊く、戦争が悲惨であるか、そして、マイノリティーとマジョリティーの自由と平和な共存・共生・共栄がいかに重要であるかを深くかみ締める必要があるといっていい。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 ウッドロウ・ウィルソン (Wikipedia)

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