31.世界平和の危機を迎えて

2012年10月15日

 紛争や戦争のきっかけは、ちょっとしたことから発火し、それが導火線となっ て爆発するというケースが意外と多い。地域的な紛争がやがて本格的な戦争に発展する。戦争が戦争を呼ぶのである。 

 1914年6月、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェ ルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機にヨーロッパを巻 き込んだ第一次世界大戦も、きっかけは銃撃という局地的な事件からだった。 それが瞬く間にヨーロッパに拡大したのは、偶然ではなく、そうした戦争の機が熟していたからである。

 また、1937年7月、中国の盧溝橋事件を端を発した事変がやがて全面的な 日中戦争、そして第二次世界大戦となった至った経緯もそうである。事件当初、 日本政府の第一次近衛内閣は、戦線不拡大方針をとっていたが、軍部の勢いを抑 えることができず、ずるずると本格的な戦争への道へと走っていった。国内外におけるそれまで山積していた問題が、紛争によって雪崩を打ち一気に 噴きだしたのである。

 戦争が拡大するには、それなりの理由が存在し、第一次世界大戦も第二次世界大戦も、発火するまでの状況が背景にあり、それが花火のように連鎖反応を起こ して世界大戦という悲劇を引き起こしたと言えよう。その意味で、われわれは小さな紛争や領土問題を座視して放置しておいてはい けないのである。それがいつ周辺諸国を巻き込むか、わからないからである。

 中東紛争のイスラエル対アラブの対立と紛争も、そうした経緯を繰り返して来て、世界大戦の発火点となりそうな地域になっている。この地域は領土問題と民族感情、ユダヤ教とイスラム教の宗教的な対立など、 複雑な様相をもっているために、解決への糸口はなかなか見出せない状態だ。この中東地域における紛争は、アメリカやロシアなど大国をも巻き込んでいるために、政治的な妥協をするのも困難だが、もうひとつ、背景にキリスト教とユダヤ教、イスラム教の問題がある。

 キリスト教はその教義からイエスを十字架につけたユダヤ人を迫害してきた歴史をもち、また、イスラム教とはイスラエルの聖地を争う十字軍戦争によって血を流す戦いを繰り返してきた。歴史的にユダヤ教、キリスト教、イスラム教はこの中東の覇権を争ってきたのであり、それが現在の世界情勢にも影を落としているのである。

 その上、キリスト教の新約聖書の預言書「ヨハネの黙示録」には、イスラエルのメギドの丘での世界最終戦争(ハルマゲドン)が預言されていることもあり、 このイスラエルの地をめぐる紛争は第三次世界大戦の引き金となりかねない。少なくとも、大国アメリカがイスラエルに肩入れをし、アラブ諸国と対峙しがちなのは、そうした啓示宗教がもつ預言も預かっているだろう。

 第三次世界大戦への危機は、これまでは中東を中心軸としたものだったが、ここに来て、われわれも座視し得ない危機が、東アジア情勢に勃発しようとしているのを忘れてはならない。それは日本をめぐる領土問題であり、竹島(独島)をめぐる日韓の紛争、尖閣諸島の領有をめぐる日中の対立と緊張は、これまでにない緊迫した状況をもたらしている。これらの紛争と対立は一発触発の危機を漂わせているのだ。

 この緊迫した政治情勢も、中東におけるイスラエルとアラブの対立に負けず劣らないほどの戦争の発火点になりかねない危険な匂いを放っている。むしろ、紛争によって武器をもって戦ってきた経験を積み重ねてきて、ここにおいて一種の予定調和的な停戦をしている中東情勢よりも、何か小さなきっかけでも爆発し、それが全面的な紛争、戦争に発展しかねない危機を孕む東アジア情勢の方が危ないかもしれない。

 そうした危機の中にあって、われわれはどうすべきか。当たり前のことだが、 こうした危機を煽るのではなく、対話し、政治的な交渉と国民の草の根的な交流を深めるしか方法がない。国境を越えて互いに知り合い、全人類が一家族となる自由と平和と統一と幸福とを目指していかなければならない。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)


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