65.戦後70周年を迎えて
時間というものはあっという間に過ぎ去ってしまう感がする。それこそ「光陰矢の如し」ということわざを思い出す。悲惨な戦争も、時間が経過すれば、その戦禍の跡も消え、建設の足音が響き、そして、過去の傷が忘れ去られているかのように、新しい街や世界が築かれていく。悲惨な記憶は薄れ、見えなくなってしまう。
人々が悲惨な中に止まることができないのは、現在を食べるために生き、未来を子孫たちに残していかなければならないからである。しかし、過去の建造物の傷跡や記憶が薄れても、人の心の悲しみや傷までも消えてしまうわけではない。むしろ心の痛みや苦痛、二度と返らない悲惨な出来事への痛切な思いは、時とともにむしろ鮮明になっていくこともある。
癒されない思いや苦痛は、やがて、間欠泉のように噴き上がり、何度も何度も記憶を甦らせ、時間を過去に巻き戻す。生きるために忘れようとした事柄も、決して記憶から無くなってしまったわけではなく、一時的に記憶の倉庫に仕舞われただけである。その意味で、戦後70年という歳月は、時間が経過したために過去となってしまった部分が多いが、人の心の世界では、まだ消え去っていないものが多いということである。
そのようなことを考えれば、戦後70周年というのは、歴史という客観的な事績になるまでにはまだ生々しい過去であるといってよい。日本の場合、忘れることのできないのはポツダム宣言受諾である。終戦の詔書で国体ٍが守られたから日本が戦後発展することができた。
戦争世代が生きている時代は、まだ本当の意味では戦後ではないし、過去が清算されたというまでにはいかない。もちろん、国というレベルでは、条約などである程度解決されていても、この問題が難しいのは、現在の日韓・韓日関係をみればわかるだろう。
現在、戦後70周年という節目を迎え、問題は益々難しい様相を呈しているが、この問題が難しいのは、戦争世代が次第に亡くなることで少なくなっ ていることである。直接戦争を体験した世代が亡くなることは、戦争の記憶や教訓が薄れていくことだけではない。その戦後処理などの問題を本当の意味で解決することが難しくなっていることを示すといっていい。
なぜなら、いい悪いは別として、真の意味での人道的な問題よりも、政治的な課題や利用の具にされやすくなるからである。そうなれば、国益や民族感情などの問題もあり、益々解決の道、妥協の道を見いだすことが難しくなるだろう。そうしたことを考えると、政治的解決は長期的な展望をもって計らねばならないと同時に、民間レベルの相互理解を深めていくことが重要である。
たとえば、日韓・韓日関係の中で、過去・現在において、身を挺して両国の架け橋になった偉人たちを今ひとたび思い起こすことが必要である。光化門を守った柳宗悦、朝鮮陶磁器の美を発見した浅川巧、関東大震災で無辜(むこ)の在日韓国人を守った警察官・大川常吉、韓国動乱の孤児を 救った田内千鶴子など、他のために無償の愛を捧げた人々のことを改めて焦点を当て思い起こすことが求められている。そのことが憎悪と憎悪を生むだけのヘイトスピーチ問題を解決する早道ではないかと愚考する次第である。
互いに助け合い、そして、未来の平和友好へ手を携えていく、そのような精神を戦後七十周年を期に改めて復興しなければならない。
平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)
【参考リンク】 | ポツダム宣言 (Wikipedia) |
終戦の詔書 |