28.南北共同声明から40年

2012年7月1日

 1972年7月4日、ソウルおよび平壌において、「南北共同声明」が発表された。今年はそれから40年という節目の年を迎える。この節目の機会に、緊張を高める韓半島の南北平和統一に対して振り返ってみたい。

 40年前に発表された共同宣言では、原則合意した内容について、「統一は外国勢力に依存するかまたは干渉を受けることなく自主的に解決すべきである」「統一はお互いに武力行使によらず、平和的方法で実現すべきである」「単一民族としての民族的大団結をはかるべきである」などと宣言している。

 要約すると、「自主的解決」「平和的方法」「民族的大団結」ということになるだろう。この基本合意は、6・25動乱が休戦協定を結ぶことで辛うじて停戦状態であった両国の緊張状態を停止し、平和的な統一を希求したものとみることができる。

 この合意事項をもとに、さらに両国は「南北間の多方面な諸交渉」「南北赤十字会談の開催」「ソウルと平壌間にホットラインを設ける」などの具体的な政策条項を述べている。このうち、「南北間の多方面な諸交渉」は、「自主的な解決」を別にすれば、さまざまな事件などによって断続的ではあるが、なんとか相互の意思疎通させる状態を維持している。しばしば平和交渉が突発的な出来事で断絶したことはあるが、全面的な断交という事態にはなっていない(現在、李明博大統領と北朝鮮の関係は核開発などの問題でそれに近い状態ではあるが)。

 ちなみに、「自主的解決」については、1991年12月13日に締結された「南北基本合意」や2000年に金大中韓国大統領と金正日北朝鮮国防委員長との間で交わされた「6・15南北共同宣言」、そして、それに準じる日本の民団と朝鮮総連の間で、2006年5月17日に発表された「5・17共同声明」で見られるような二国間の共同声明などがそれに当たるだろう。これらの声明は、韓国と北朝鮮が互いに「自主的解決」をするために歩み寄り、その両者の一致点を見出そうとした努力目標ということになる。

 また、「平和的な方法」についでは、両国の首脳や実務者の会談、南北赤十字を通じての「離散家族再会」運動などが挙げられる。ただし、これらの二国間交渉には、何度も交渉を重ねてきてその限界が露呈されているように行きづまりの状況だ。そのために、アメリカ、日本、中国、ロシアなど周囲の大国を巻き込んだ、六ヵ国協議がその調整、核開発停止という条件で経済援助を行うという見返りを条件としながら交渉の窓口が継続している。

 しかし、この六ヵ国協議も、北朝鮮の金正日総書記の死去とその後継者の金正恩第一書記の就任という、不安定要因によって流動的な状態であり、現実的には再開の見通しが立ってない。そのために、北朝鮮を支援してきた中国やロシアというパイプを通じて、北朝鮮の核開発(ミサイル発射)の停止と平和利用を模索している状態だ。

 南北平和統一の問題は二国間では、経済格差などの問題もあり、同民族という要素があってもなかなか難しい。東西ドイツの統一をみてもわかるように、経済格差のある民主主義国家と共産主義国家では、統一後の経済の落ち込み、国民の生活水準の低下などの要因を覚悟しなければならない。「漢江の奇跡」を成し遂げて今や他国に経済援助をするほど発展した韓国が、その覚悟をして、「血は水よりも濃い」同じ民族の同胞をいかに愛し抱擁することができるか、それが今後の両国の南北平和統一への時期を早めるかどうかのカギとなるだろう。

 それとともに、1991年12月6日、文鮮明総裁と金日成主席が会談し、平和統一への合意事項がなされ、それが13日の「南北基本合意」につながった。また、軍事的に対峙していない在日が本国の「和解」と「和合」をリードしていくことができれば、おのずから韓国と北朝鮮が平和統一に向かってソフトランディングしていくことの可能性が高まるのである。韓国独立運動は在外から始まり、特に在日同胞であったことを改めて思い起こせば、これがあながち空想や夢想のたぐいではないことが理解されよう。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 南北共同声明(Wikipediaより)
  南北基本合意書(Wikipediaより)
  6.15南北共同宣言(Wikipedia より)

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