56.リンカーンの歴史的な演説

2014年11月1日

 多民族国家のアメリカが、世界有数の大国として成立するには、数多くの苦難の歴史を経なければならなかった。宗教の自由を求めてイギリスからピルグリムファーザーズが移民し、その宗主国のイギリスから独立を勝ち取った独立戦争、そして、保守主義的な南部と近代資本主義として産業が発展した北部との南北戦争という惨禍を通過して合衆国として近代民主主義国家として基礎を築いた。

 その歴史的な積み重ねがアメリカの精神の背骨になっているが、その岐路になったのが、やはりアメリカが二つに分裂して戦った南北戦争であることは言うまでもない。もし、歴史通りに北軍が勝ったのではなく、南軍が勝利を収めていたならば、どうなったのか。また、そうならなくても、南部が主導する合衆国家が成立していたならば、奴隷解放などの民主主義の芽は育たなかっただろう。

 そのアメリカの最後の決戦が行われたのが、1863年7月、ペンシルベニア州南部アダムズ郡にある町のゲティスバーグである。その北軍の指導者が、奴隷解放で知られる第16代のエイブラハム・リンカーン大統領である。リンカーンは、このゲティスバーグで歴史的な演説をしている。

 その演説は、1863年11月19日の午後にペンシルベニア州ゲティスバーグの国立軍人墓地の奉献式で追悼演説として行われた。追悼演説は当代随一の雄弁家として名の高かったエドワード・エヴァレットが2時間にわたる大演説を行った後、リンカーンは、わずか272語、3分間の演説を行った。

 その最後に、リンカーは次のように述べた。

 「私たちの前には大いなる責務が残されています。名誉ある戦死者たちが最後まで完全に身を捧げた大義のために、私たちも一層の献身をもってあたること。これらの戦死者たちの死を無駄にしないと高らかに決意すること。神の導きのもと、この国に自由の新たなる誕生をもたらすこと。そして、人民の、人民による、人民のための政府をこの地上から絶やさないことこそが、私たちが身を捧げるべき大いなる責務なのです」

 アメリカの小さな地方都市で成されたリンカーンのわずかな言葉は、永遠に残る言葉となった。ゲリー・ウィルズは、ピューリッツア賞を受賞した『リンカーンの3分間‐ゲティスバーグ演説の謎』という著書で、この演説を評して、「言葉の威力がこれほど発揮された例はまずほかにない」と指摘し、「あらゆる現代の政治演説はゲティスバーグから始まると言っても過言ではない」と述べている。

 「人民の、人民による、人民のための政治」このフレーズは、アメリカ民主主義精神の神髄を示す言葉として歴史の教科書に必ず引用されて世界的に今では知られるようになっている。リンカーンは、互いに戦ってきた南軍とか北軍という壁を超えてともに、同じ人民として同志として未来を見つめて演説を締めくくった。そこには、いささかの偏見も、勝者の驕りも、差別もない。ただ、敵味方を超えてアメリカ合衆国という理想国家の建国に共に向かっていこうという呼びかけがある。勝者が敗者へのいたわりの精神がそこにあるといっていい。

 現在の分断国家の北朝鮮と韓国の対峙する韓半島(朝鮮半島)の今後、遠くない未来に訪れるであろう「南北平和統一」への大きな教訓となるだろう。南も北も同胞である韓民族にとって、リンカーンの演説は平和への希望の指針となるに違いない。
 

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 エイブラハム・リンカーン (Wikipedia)

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