5.韓国併合100年に思う

2010年8月2日

 韓国併合から百年という歳月を迎えた。

 百年というと、人の一生を考えても、 二世代、三世代を経てもおかしくはない長い時間がたっている。 普通ならば、百年前の出来事はその当事者の多くが亡くなっているために、 記憶が風化し、記録されたものも、実感のないもの-空洞化-という危機を迎えてもおかしくはない。

 しかし、日本と韓国の間での近代史の悲劇-韓国併合という事実は、日韓関係のなかなか解決しえない問題になっている。その重い歴史は、韓日の間で今なお忘れられない枷(かせ)となっている。

 また、両国の若い世代では、過去の歴史よりも未来への友好を見据えようという動きもあることも間違いない。もちろん、平和を志向し、未来に希望を託することは大切なことである。しかし、未来志向は大切だが、それと同時に過去を見据えることもまた大事なので ある。

 我々の現在は、過去によって支えられているのであって、それをまったく無視してしまうことは真の意味の解決にはならないからだ。例えば、子である我々は両親という親がいなければ存在しなかったということを考えれば、我々は過去(両親)を否定したり無視したりはできないのだ。

 国家の関係においても、そのことは言えるのである。国家の関係もまた、何もないところ、互いに負債も貸し借りもない関係からスタートすることはできない。というのは、韓日関係は一衣帯水の国家として、古代から近現代まで、戦争と平和を繰り返しながら両国の歴史を刻んできたからである。

 プラス的なことでは渡来人による文化的恩恵などがあり、マイナス的なものとしては豊臣秀吉の朝鮮出兵(韓国側では壬申倭乱)や韓国併合がある。総体的には不幸な歴史よりも、ずっと友好関係が長かったことを知らなければならない。その歴史の遺産をすべてなかったことにすることもできないのである。

 その意味で、未来志向の中には、過去の歴史の正しい評価も含まなければないらないということである。過去の悲劇をことさら政治的な利益を目的として主張する必要もないが、その負の遺産・影の部分を、少なくとも認識した上での未来志向を志すべきだろう。なぜなら、特に日本人の若者の多くは、韓日の間に横たわっている歴史を知らなすぎるからである。学校で学ぶ歴史の授業も、大学などの受験のために暗記教育と化し、そこに国家形成・民族形成史のアイデンティティが抜け落ちている。

 日本の若者に見られる愛天愛国愛人の心の欠如は、その戦後民主主義の名で行われた日教組などを中心とした教育にも原因がある。それが日韓関係の未来志向にも影を落としていることを我々は気づく必要がある。

 そうした過去を直視し、それを否定するのではなく、マイナスの部分を抱えつつ、新しい歴史を未来につくっていくこと、それこそが願われるのである。例えば、歴史の負の遺産とも言うべき在日韓国人の問題があるが、これを日本が正しく処理することが求められている。戦後処理の問題として、地方参政権の問題もよく考えなければならないのだ。

 もちろん、それはただちに在日外国人すべてに参政権を付与せよという歴史を無視した乱暴な意見とは一線を画する。しかし、近い将来にその解決なくしては、韓日関係の未来志向の平和構築も、その土台が危ういものとなる可能性がある。と同時に、過去のマイナス部分だけではなく、それだからこそ、未来志向につながる過去のプラス部分をも正しく掬い取らなければならない。

 日韓併合という悲劇の中で収奪や虐待ばかりを行った日本人ばかりではないことを我々は改めて知る必要があろう。それが例えば、「朝鮮の土となった日本人」の山梨県出身の浅川巧、そしてその兄の伯教の知られざる善行である。浅川巧は植民地下であった韓国を愛するあまり、韓国の民族衣装を着て、その優れた民芸を発掘した。その浅川兄弟によって、影響を受けた柳宗悦が日本の民芸運動を起こした。そして、撤去され壊されようとした光化門の保存のために尽くした。

 浅川巧は亡くなったとき、その棺を朝鮮の人々が争ってかつぎ、涙で葬儀を行ったのである。また、最近映画化された弁護士の布施辰治や吉野作造、花井卓蔵などなど、こうした日韓関係の友好のために尽くした過去の立派な人々を顕彰し明らかにすることも、日韓併合百年を迎えてやらなければならないのではないかと思う。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)


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