55.ガンジーに学ぶ平和思想

2014年10月1日

 世界を代表する非暴力主義の平和運動家といえば、アメリカの公民権運動で知られるキリスト教の指導者のマルチン・ルーサー・キング牧師や今もなおチベットの独立のために非暴力主義を貫いている仏教指導者のダライ・ラマ法王が挙げられる。

 キング牧師はすでに暗殺の悲運に倒れているが、ダライ・ラマは今なお中国の支配下にあるチベットの独立のために世界中を駆けめぐっている。もし、このような非暴力主義の平和指導者がいなかったなら、アメリカの公民権運動も、チベット独立運動も、現在のような非暴力の平和的な運動となっていたかどうかわからない。

 歴史にイフ(もしも)ということは意味がないかもしれないが、現在の中東に見られるようなテロや中国の少数民族・ウイグル族などの暴力的な運動に発展した可能性がある。それほど、この二人の巨人の存在が平和運動の歴史に残した足跡は大きなものがある。

 しかし、その二人も、実はこの非暴力の平和運動をみずから始めたわけではなく、その先駆者が存在しなかったなら、生まれていなかったかもしれない。それがインドのグジャラート出身の宗教家、政治指導者、そして、インドの独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジー(1869~1948)である。ちなみに、「マハトマ」とは、ノーベル文学賞を受賞したインドの詩聖・タゴールから贈られた尊称である。

 ガンジーの存在が大きいのは、資本主義とも言うべき帝国主義が世界を覆っていたときに、暴力によって支配を打破するのではなく、「非暴力、不服従」を提唱しことにある。支配された側が、それまでの支配を打破する方法として、既成の政治体制を破壊する暴力をもって解決しようとすることはよくあるケースだ。それまでの支配によって受けた屈辱や恨みを晴らす復讐心が、暴力となって爆発しやすいことはこれまでの歴史が証明している。

 だが、そうした暴力による変革は、また新たな暴力を生み、暴力の連鎖になりやすい。暴力によって生まれた政権は、また暴力によって打倒の目標となる。恨みは恨みを呼び、その連鎖を断ち切るのは難しいのである。真の平和は、血で塗られた方法によっては成立しないことを、改めて知らなければならない。その意味で、世界史の中で、平和指導者として、インドにガンジーが生まれたことはまさに奇跡といっていいだろう。

 その上、このガンジーの平和思想は、インドを独立にみちびいただけではなく、帝国主義的な世界の潮流を変える原動力ともなったといえるからである。植民地を力で支配していたイギリス帝国は、植民地を支配する絶対主義的な主従関係の形態からゆるやかな関係、イギリスを中心とする連邦制へと転換させた。ガンジーの理想・思想が、インド一国の独立だけではなく、世界の流れを平和な世界へと導いたのである。

 それがまた、世界平和を議論し調停する国際連盟や国際連合などのグローバルな政治機関成立への源流となったことは改めて強調する必要はあるまい。平和運動は非暴力で話し合いによってなさなければならないとしたガンジーの思想は、今もなお生きているのである。

 さまざまな問題と紛争に混乱をきわめている世界情勢を見回してみたとき、そのような平和思想を継承した平和運動の宗教指導者、ガンジー、キング牧師、内村鑑三やその他の日韓の平和運動家、ダライ・ラマ法王、ソ連共産主義の平和的な解放に寄与した文鮮明総裁の名を忘れてはならないだろう。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 マハトマ・ガンディー (Wikipedia)

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