21.日米開戦70年に想う

2011年12月6日

 昔の人は、人間の人生のサイクルは、60年でひとつの区切りを付けた。それが還暦という言い方によく表されている。人は60年たつと、そこからは一種の幼時回帰とも言うべき状態になる。肉体の衰退はもちろんだが、それ以上に、物事の記憶が薄れ、未来よりも過去に姿勢が向かうようになる。それが自然現象としての人間の生理であり精神であるが、現代では、医学の発展により、60歳になっても気力充実な人が現れていることも確かである。

 しかし、基本的には60年というサイクルで世代が移り変わると見ていいだろう。その意味で、ある事件や出来事が50~60年の歳月を経ると、それが一回リセットされ、まるで新しい出来事のように思われるようになる。

 戦争の悲惨な記憶も薄れ、その危険性と悲劇も、それを体験していない世代を迎えれば、その貴重な教訓が失われてしまうのである。それゆえに、過去の歴史においては、同じような事態が出現することになる。戦争によって悲惨な歴史を歩んだのに、その国家がまた同じような戦争を引き起こし、返って前よりも悲惨な状態に陥ってしまう。このような事態をみると、改めて歴史を学ぶ大切さを思うのである。

 ところで、今年は日米開戦から70年という節目を迎える。現代の若者の中には、日本とアメリカが戦争をしたということさえ知らない者もいるようだが、それも70年というサイクルを考えれば無理はない。歴史は教えられないかぎり、世代から世代へ伝わることはない。祖父が親が教えなければ事実は伝わらない。

 日本は第二次世界大戦(太平洋戦争)の敗戦によって、それを親が子に伝えるということをしてこなかった面がある。それは日本人のメンタリティの中で、負けることを恥とする心性があることや過去を水に流して忘れようとする伝統的な精神があることもあるだろう。

 子に戦争体験などの歴史を伝えるという行為は、そこに子に何らかのメッセージを伝えることになり、それが復讐や家訓、敵愾心などに結びつく場合が多い。それを嫌ったということもあるかもしれない。

 しかし、過去を忘れることが出来ても、それをなかったこと、消すことはできない。それを知った上で、歴史を感じなければ、同じような失敗、悲劇を繰り返すことになるのは間違いない。

 また、親が伝えなくても、本来は国家のアイデンティティを教えるために国語や歴史の授業が学校で行われるのが世界の多くの国の教育である。教育は、家庭、学校、社会(国家)で成されるが、日本の場合は、それが欠如している面がある。

 歴史を教えなければ、愛国心も育たず、国を愛する心で、他の国と交流もできず、過去の過ちを教訓として平和の土台を築くことができない。歴史は繰り返される。東洋には、「温故知新」という言葉がある。その意味で、過去の日米開戦70年を教訓としなければならない。

 平和は「平和」という言葉に存在するのではなく、郷土と国、家族を愛する心から生まれるのである。われわれは「平和」を謳いながら、再び戦争の悲劇に走った第一次世界大戦後のドイツのワイマール憲法下の状況に深く思いを致さなければならない。

「平和の誓い」はスローガンではなく、国民の心に育まれた愛情であり、家族を基礎とした情操でなければ、その実質的な拘束力を持たないのである。その意味で、日本の「平和」教育は、ただ「平和」を唱えるということを各自に覚えさせるものと化している気がする。しかも、学校教育における歴史の授業は、単に事実を年号として暗記させるものになっていて、実態がほとんどない。それは「戦争反対」と唱えれば、世界から「戦争」が無くなってしまうと錯覚していることと同じである。

「平和」の背景には常にそれを脅かす軍事的脅威がある。それは言葉だけでは解決できないのである。 改めて、われわれは日米開戦70年という節目に、新たな新世界秩序を迎えている現代、このことを深く考えなければならない。

 2012年は、世界平和への出発の年になることを願う。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 第一次世界大戦(Wikipediaより)
  第二次世界大戦(Wikipediaより)

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