69.日韓・韓日首脳会談に思う

2015年12月1日

 国家同士の関係は、個人レベルの関係とは違う次元であることは間違いない。それこそ国益や歴史問題など、個人の問題を超えたさまざまな要素があり、複雑で、しかも、百戦錬磨の外交感覚をもっていなければ自国への不利益をもたらすことにもなる。その点は、戦争で勝利しても、その後の戦後処理問題で後手を取り、結果的に戦勝したことがそのまま自国の利益にならなかったケースを見ればいい。

 戦争に負けても、外交・政治で勝つこともありうるのだ。戦争の敗戦がそのまま国の滅亡にならず、かえってそれを機に戦勝国以上の経済的繁栄と平和を生み出した例は少なくないのである。たとえば、第二次世界大戦でも、日本やドイツはそのいい例かもしれない。もちろん、その背景には、第一次大戦の事情と第二次大戦の背景が違っていることがある。

 かつてクラウゼビッツは、「戦争論」で、戦争は政治の延長であると喝破しているが、それは政治も勝敗を決する武器を持たない戦争であることを意味している。その点で、戦争よりも平和時における外交・政治は重要である。その外交・政治の要諦は、下のレベルでは草の根の国民の交流、そして、経済交流、国のレベルでは、政治家、それもトップ同士の交流であり、すなわち会談、話し合うことが重要である。

 ここで、国家同士の関係は相互に抱く国民同士の感情、首相や大統領などの国のトップ同士の人間関係・感情が大きな役割を果たすのである。国民同士が草の根交流をよく行い、国のトップ同士が頻繁に連絡を取り、首脳会談を行い、すり合わせをしていれば、戦争へと傾斜することはない。そのことは人間関係からも理解できよう。人間個人の関係においても、突然、ケンカになることはない。その前段階の互いにいい感情をもたない期間があり、無視する期間があり、そして、何かがきっかけになって暴力を手段としたケンカとなる。その意味で、国と国の関係に平和をもたらすのも、戦争へ突入するのも、それ以前において積み重ねた政治であり外交の問題が大きいといっていいだろう。

 その点で、このところ冷却していた日本と韓国が曲がりなりにも、日韓・韓日首脳会談を開けるようになったのは、慶賀すべきことである。一般的には、中身のない会談という評価がなされている面もあるが、しかし、最初からケンカした同士で仲良くはなれないように、最初から政治的な成果を求めるのは現実的ではない。そこには一衣帯水の国同士の長年の歴史的関係もあり、国民感情の違いもある。早急に結果を求めることは無理である。徐々に手続きの階段を踏みながら、互いの相互理解を深めていくのが、今後の未来の友好関係を深めるためにも、求められる現実的な方向性だろう。

 その意味では、今回は首脳会談があっただけでも是としなければならない。問題は次の段階にいかに進んでいくかであるが、もちろん、それは国民の草の根交流の発展とともに進めなければならない。そして、やはりそのカギを握るのは、両国を父母のような国としている在日韓国人であることは容易に推察できる。

 在日同胞の一世は、戦前・戦中・戦後に様々な事情によって日本のとどまり、両国をまたぎながら両国を愛情をもって生きてきた。日本で生まれた二世や三世ならば、なおのことそうだろう。その意味で、両国の架け橋として、在日韓国人と日本人が仲良くなれば、自然に日韓・韓日関係も好転していくのではないだろうか。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 戦争論 (Wikipedia)

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