75.オバマ大統領の広島演説

2016年6月1日

 日本とアメリカは、長年、日米安保によって支えられている同盟関係である。そして、それは第二次世界大戦における日本の敗戦から勝者のアメリカからの占領統治を経て、独立し、同盟関係となってから維持されてきた。勝者と敗者の関係としては、日本はある意味で、幸運な戦後を迎えたといえるかもしれない。

 第二次世界大戦後は、アメリカとソ連の二大大国による冷戦構造が長く支配したが、そのような民主主義と共産主義のイデオロギーの対立の中にあって、日本は事実上、アメリカの核の「傘」という安全弁の中にあって、ひたすら経済発展を追求することができた。その故に、経済大国として繁栄した 時期をもつことができたのである。

 もちろん、そこには紆余曲折があったことも認めなければならないが、大旨、この日米関係は相互に利益をもたらした関係といっていいだろう。だが、その関係に大きな影を投げかけているのが、第二次世界大戦を終結させる至った直接的な武力攻撃――広島と長崎に投下された原爆――であることも間違いない。

 原爆による犠牲者は、通常兵器による被害をはるかに超え、一都市を滅ぼすほどの破壊力を示した。しかも、原爆による被害は爆発だけではなく、間接的な放射能による原爆病、作物や自然環境への影響というという二次被害や三次被害をもたらした。核という兵器は、もはや全人類、地球規模の自然環境をも滅ぼす究極的な兵器となり、その脅威「核の冬」の中で、紛争や戦争、テロが行われるに至り、いつその最終兵器のスイッチが押されるかどうか、の危機的な時代に現在われわれは生きている。

 戦後は終わった、という言葉を聞くのようになってから、ずいぶん時間がたったが、果たしてそれは真実なのか。戦争が終わって、破壊されたものが再建され、回復されて平和な時代を迎えたといっても、それで戦後処理が終わったといえるのだろうか。

 もちろん、時間が経過することによって、現状回復されるものもあるが、直接的な被害を与えられた人々の家族が生き返ることも無く、また戦争の記憶までは無くなることはない。広島に初めて原爆投下され、そこに生きていた人々、日本人や在日韓国人・朝鮮人、その他の外国人などの多くの犠牲者を出したということは、消え去ることができない。

 その意味では、アメリカは戦争という悲劇を終わらせた勝者であるが、その反面、多くの無辜(むこ)の市民の犠牲者を出したということで加害者でもあることは間違いない。

 戦争を考えるにあたり、加害者と被害者という構図を描きやすいのだが、事はそれほど単純ではなく、加害者も被害者になり、被害者も加害者になるという局面はいくつもあるのだ。日本も広島では原爆の被害者だが、アジアの植民地を解放した面もある。が、東アジアを戦場にしたという点では加害者でもあることは間違いない。

 今回、初めてアメリカのオバマ大統領は広島に訪問したことは、その意味で、国益や謝罪という次元を超えて、加害者であろうと被害者であろうと、人類の絶滅に結びつく「核兵器」の廃絶を願ったことは、それが政治的パフォーマンスであれ、何であれ、ひとつの前進であることは確かである。

 もちろん、大統領の任期の末期であるために、その政治的効果や意味はあまり期待できないとしても、平和な未来へのメッセージとして発せられた祈りとして、ある意味では、リンカーンのゲティスバーグの演説のように後世に残ることをわれわれは望みたいのである。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 ゲティスバーグ演説

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