33.愛は国境を越えて

2012年12月1日

 全世界を見渡したとき、各地で戦争や紛争が絶え間なく起こっている。飢餓や貧困、そして宗教や民族の違いなど、多くの要素が絡み合い、歴史的な経緯もあって、絶えず争いや紛争が起こっている。

 もちろん、世界には政治的な安定や先進諸国のように技術の発展と物質的な豊かさによって一見すると平和な世界が存在しているように見える。しかし、そうした平和な国であっても、国内に目を向ければ、そこには富める者と貧しい者の格差のある社会があり、そこでは対立と争いが武器をもった戦争とは別な形で進行している。豊かさの中にも貧困があり、安定した社会や家族にも、さまざまな困難と苦悩が存在しているのである。

 その意味で、人類が住む地球を覆う海を除くと、陸地はユーラシア・アフリカ・北アメリカ・南アメリカ・オーストラリアの五大陸(南極を含める場合は六大陸)があるが、そこに真の意味での精神的な安寧と平和な世界は少ない。しかも、人類が住む限られた陸地には、数多くの国家が存在し、国境線を通して互いに対立したり和平を結んだり、時には武器を持って戦争し、相手の国を植民地としたりしている。

 そのような人類の歴史を顧みれば、戦争と紛争の歴史は、国と国との国境線を奪い合う歴史であったということが出来よう。少しでも土地を自国の支配下に置くことができれば、そこに住む人々を動かし、産業や農業の収穫を増大させ、国力を増強できる。国力を増強をすることで、国を繁栄させることができると信じられてきたのである。

 しかし、そのような戦争は、第一次・第二次世界大戦を通じて大きく変わっていった。世界が土地を奪い合う戦争から変化し、民主主義と共産主義のイデオロギーの対立というように、新しい次元で戦争が起こった。それは〝冷たい戦争〟とも呼ばれている。しかし、それも米ソの対立からソ連崩壊以後、中国が台頭し、新しい新世界秩序が形成された。現在は、そのような新世界秩序の中で、どのような平和な世界を構築していくべきなのか、過渡的な状況の中で模索している状態である。

 そのような戦争や紛争の絶えない事態を解決する道は果たしてあるだろうか。長年の人類の歴史で、解決できなかったこの問題がそうたやすく解決できるわけはない。しかし、われわれはそこで平和と人類共生共栄の道をあきらめることはできない。それは大陸や島や海に住む七十億人を超える人口の爆発的な増加とエネルギー資源、食糧資源の枯渇の限界を迎えているからである。

 この問題をそのまま放置しておけば、必ず国益や食糧危機、エネルギー危機で、自国を守るために武器を取り、互いに殺し合う事態が勃発することは間違いない。これを解決するためには、まさに国境線を越えて、人類が人種や宗教、イデオロギーの違いを超えて互いに助け合い、限られた資源を共有し、未来の子孫に残すために政治的にも科学的にも精神的にも愛しあうことが必要である。

 お互いが共に限られた地球に住む人類兄弟姉妹・同胞であるという意識をもって、対立するのではなく、愛し合い、助け合う――その道しか残っていないのである。もし、人類が同じ家族の兄弟姉妹のように愛し合うことができれば、また、そのような意識をもって先進諸国が開発途上国を助け、援助し、技術を附与していくならば、多くの問題は解決することができるだろう。

 アフリカ大陸やその他貧しい国で現実的な脅威となっている飢餓の問題も、本当に先進諸国がこれを解決しようとし、豊かな兄や姉が貧しい弟や妹を助けるような意識で取り組めば、解決するのはそれほど難しいことではない。なぜなら、先進諸国の多くが余った食糧を捨てゴミとして投棄しているからである。これらの余剰食糧の供給によって多くの貧しい国々の飢餓問題は解決されるだろう。

 もちろん、その余剰食糧を現地にまで運ぶコストの問題があるが、それも豊かな国々の人々がみずからの生活水準を少し下げ、そこで蓄えられた資金をプールしながら、貧しい弟妹に分け与えるために供出しなければならない。 兄弟姉妹が互いに助け合うことになれば、その家は平和であり幸福であることはもちろん、共生共栄共義の繁栄の道を歩むことになるだろう。

 それはまた、国境線という人の心にある見えない壁を越えることにもなり、ひいてはそれが全地球が一家族の道を歩むことになるだろう。そのときには、アジアにおいても必ず南北平和統一も成就されているのに違いないのである。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

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