52.第一次世界大戦から100年

2014年7月1日

 今年は、1914年6月28日に勃発した第一次世界大戦の原因となったサラエボ事件から100年目に当たる。第一次世界大戦 は、その名称にもあるように、それまでの戦争とは違い、二国間とか数ヵ国のレベルを超えてヨーロッパ全体巻き込んだ戦争であり、その死傷者数や被害の甚大さはまさに世界的なものだった。

 参戦した国も、 当時の大国であったフランス、ドイツ、ロシア、イギリスなどであり、その大国が軍を投入して戦ったために、戦火は燎原の火のごとくヨーロッパ全体を覆っていった。しかも、ヨーロッパだけではなく、戦闘はアフリカ、中東、東アジア、太平洋、大西洋、インド洋にもおよび世界の多数の国が参戦したことでも、よく知られている。

 利害や国益などのさまざまな次元が複雑に絡み合ったために起こった戦争だが、その原因となったのは、冒頭に記したように、1914年6月28日に起こったサラエボ事件である。サラエボ事件は、オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の甥で皇位継承者であったフランツ・フェルディナント大公がサラエヴォにおいて妻と共に暗殺された事件である。

 誰もこの暗殺事件が引き金になってヨーロッパ中を巻き込む世界大戦になるとは思っていなかったはずである。いつのまにか、戦火が各国に飛び火して多くの国が参戦していったことによる、一種のドミノ戦争であったということができる。その意味で、第一次世界大戦が、侵略戦争や革命などのような直接的な戦闘から戦争が勃発したことではないことは注意しなければならない。

 現在の世界情勢もまた、この100年前の状況にある面では酷似している。当時は、帝国主義諸国家が弱小国家を併合し、またアジアやアフリカに植民地を形成し、その搾取や支配によって繁栄を謳歌していた。が、その支配を打破する機運が高まり、独立運動や民族自決の運動が多発し、共産主義の高まりを背景に暗殺などのテロが起こっていた。サラエボ事件は、ささいな暗殺事件のように見えるが、その背景には世界大戦に発展する状況が既に横たわっていたのである。

 第一次、第二次世界大戦という甚大な悲劇を通過したために、二度とこのような世界的な戦争が繰り返されるとは考えられないというのがわれわれの認識である。だが、戦争は第一次世界大戦の原因が一暗殺事件に起因したように、現在の世界情勢の変化によってはいつ戦争が勃発してもおかしくない情勢にあることは間違いない。

 戦争の火薬庫である中東ではイスラエルとアラブの対立、イラクの混乱、アフリカのチュニジアに端を発した民主革命はエジプト、シリアに飛び火し、解決の糸口さえ見えない。アジアに目を転じても、軍事大国化した中国の存在、北朝鮮の核問題、そして、民主主義国家群として共闘しなければならない日韓の関係の悪化、なおかつ世界の警察国家アメリカの衰退、そして、ロシアとウクライナのクリミア半島問題など、火がつけば大戦に発展しかねない一触即発の状況がある。

 われわれは今一度、100年目を迎えた第一次世界大戦を教訓として、平和な世界を生み出すためにこの事件を改めて振り返って考えなければならない。

 第一次世界大戦後、アメリカのウィルソン大統領が「民族自決」などを打ち出し、国際連盟創設を提案した。それにいち早く反応したのが在日同胞の「二・八独立宣言」だった。それが韓国の「三・一独立運動」、中国の「五・四運動」に波及した。そのことも改めて銘記したい。

平和大使在日同胞フォーラム代表 鄭時東(チョンシドン)

【参考リンク】 第一次世界大戦(Wikipedia)
  ウィルソン大統領(Wikipedia)

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